無音という狂気~アバドの指揮
2013.07.18. 01:27
北海道の冬は、無音なんです。
降り積もった雪が、すべての音を吸収してしまいます。
不安になるほどの静寂です。
それが理由かどうか分かりませんが、北海道には歌が上手い人が多いんです。
真冬の北海道を知るある方のお話。
一人でいると静かすぎて不安になるから、ずっとテレビをつけているの。
面白いかどうかは問題じゃないのよ。
これは一人暮らしをする母の言葉。
人間は音楽を愛で、かたや近隣の騒音を嫌悪します。そして「無音」には狂気すら感じてしまいます。
音とはなんと不思議なのでしょう。
クラシックコンサート会場では、指揮者が壇上に立つと誰もが彼に意識を集中させ、無音という臨場感が会場を包みます。
聴衆は静かに音楽の始まりを待ち、終わるまでの緊張感を共有します。
会場の沈黙をオーケストラの美しい音色が打ち消し、人々を無音という狂気から救い出す。
それが会場でしか味わえないクラシックコンサートの醍醐味ではないかとガイゲは思います。
そんな「無音」と「息を呑んで見守る会場の緊張」の特徴的な演奏が、Claudio Abbado(クラウディオ・アバド)の指揮するマーラーの交響曲9番の演奏最後にあります。
長い交響曲が終わると、通常は一斉にわぁっと拍手喝さいとなるのですが、アバドのそれはちょっと違います。
マーラー9番最終楽章の楽器演奏が終わり、会場は無音となりますが、この指揮者にとってまだ曲は終わりません。
じっと無音の中指揮台で構え、会場とオーケストラの注目を受けるアバド。無音・無言の狂気が会場を包みます。
彼のひたいからじっとりと汗が流れ落ちます。
指揮が終わらないから聴衆は拍手できません。その間1分くらいずっと無音!
聴衆の指揮者に対する畏怖の念が沈黙という形でうごめきます。
おい、おまえの指揮はいつ終わるんだ?まだ終わんないの?何してるの?何で突っ立ってるの?・・・そんな風に感じてる聴衆もいるかもしれません。ただひたすら、アバドという指揮者は沈黙しているのです。
立ち尽くす指揮者は何を感じているのでしょう。マーラーへの思いでしょうか。曲の余韻でしょうか。
長い長い沈黙のあとで指揮者が曲を終わらせると、会場はかつてない拍手とブラボーの声で湧きあがります。
この演奏を見た時はさすがに鳥肌が立ちました。
2014年1月20日、クラウディオ・アバドは80歳の生涯を終えました。彼に本当の無音が訪れたのです。
無音とは、本当に恐ろしいです。
だから、音を楽しもう、楽器を弾こう。生きているから出せる沈黙をこころで感じよう。
クラウディオ・アバドさん、安らかにお眠りください。素敵な音楽をありがとう。